あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。
別居から1年
別居を始めて1年が経過しました。
経過したと言ってもそこは変わらず。
相変わらず実家に帰り子どもたちと一緒に生活し、月に一回面会をする日々です。
私はというと、
夫と今後について行動を起こしていますが、壁にぶつかっている感じです。
ただ、苦しみながらも「優しく穏やかな世界」に向かって進めたらいいなと思います。
面会は月一回、電話は子どもがしたい時は時間の都合がつく限り対応するようにしています。
子どもが喜ぶので、面会は一日頑張っています。
相変わらずその後は私自身が情緒不安定になりますが、同居していた頃とは見違えるほど私も落ち着いてきました。
今年こそ、自分の中の決着をつけられたらいいなと思います。
変化の去年
実は去年、調停にも動きがありました。
その事はまた細かく書きますが、この選択は間違っていなかったのかなとも思います。
その決断をしたことによって、様々な壁が新たに立ちはだかり、苦しいこともありましたが、逆に相手の動きがわかるようになってきたので、これはこれで良かったのかと思います。
思い起こして、昨年辛かったことは、周りの言葉、取り立てて親の言葉でした。
「本当に早く決めてほしい」
「一体どうなっているの?」
そういったプレッシャーが私を苦しめました。
親からしたら「早く決めて新しくスタートしたい」との思いと、私への心配の思いからくるものだと思うものの、それでも私にとっては辛いプレッシャーとなって苦しみました。
親に相談しても「早く決めろ。結局どうしたいんだ!」
「裁判でもなんでもすればいいじゃないか!」と言われます。
ただ、モラハラは戦いモードでぶつかれば何をするわからない。
そういう怖さは受けた人にしかわからない。
親にはその私が植え付けられた恐怖心の深さがわからないのです。
そのため、親には積極的に相談することはできません。
分かる人に相談するようにしています。
もう一つは、子どもたちのこと。
子どもたちはパパが大好き。
パパに会いたいと話す事があります。
一緒に暮らすことは私にはできないけれど、子どもたちの思いはできるだけ叶えてあげたい。
その間に苦しむことが多かったです。
今年は私自身も穏やかな生活を送り、子どもたちの幸せを見つけていきたいです。
子どもたちの幸せはなにか。
それは「普通の家庭」で得られるものではありません。
それは子どもたちに対して申し訳ない気持ちでいっぱいです。
こんな家庭にしてごめんね。
我慢できなくてごめんね。
弱い母でごめんね。
言葉にならない声が心の中で浮かびます。
新たな決意
でも
私はこの道を進むことしかできない。
今まで虐げられてきた私自身をもっと大切に労らないと、誰が私自身を愛して労るのだろう。
私が私を大切にしなくて、誰が私を大切にしてくれるのだろう。
またあの環境に我慢して戻るのは、私の声なき悲鳴を私が聞かないことになるのではないだろうか。
子どもたちはもちろん大切だ。
でも、あの環境で私の声を殺しながら生きていくことが、子どもたちにとっては本当に「幸せ」なんだろうか。
私は「私にしかできない」「私にしか作れない」幸せを作ることができるはずだし、作る義務がある。
感じた違和感や悲鳴を見逃すのは、もう辞めにしたんです。
私サイズの「幸せな世界」を作るために、今年は生きて進んでいこうと思います。
少しずつですがこちらのブログも書いていこうと思いますので、読んでいただけると嬉しいです。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!