モラハラの記憶

穏やかな面会交流~子どもの思いと繋いだ手の痛み~




面会の朝

眠れない夜を過ごした次の日、夫との面会交流の時はきた。

子ども達も私も、朝から落ち着かない。

私は朝から準備に追われる。

面会交流から帰るとぐったりとして動けないので、帰ってからの事も考えて準備しないといけないからだ。

一方子ども達は、「パパに渡すんだ」「パパと遊ぶんだ」と、ワクワクしながら荷物を詰めている。

パパとの電話で子ども達は「会った時は遊ぼうね」「これ、見せてあげるね」と話していたからか。

ばたばたとした空気の中、待ち合わせ時間に合わせて出発した。

夫からはメール。

早く子ども達に会いたいので早めに出ました。待ち合わせ場所で待っています

あくまでも会いたいのは子ども達。

子ども達の事は大切に思っているのが、毎回の電話やメールから伝わってきた。

子ども達もパパに会いたがっている。

子ども達にとって、「パパ」は「大好きなパパ」なのだ。

ならば私もしっかりと子ども達に楽しい気持ちを味わってもらいたい。

ハンドルとアクセルに力を入れ、待ち合わせ場所へ向かった。

子ども達の笑顔

子ども達はパパに会うと満面の笑顔になった。

夫も笑顔になり、しばらく楽しそうに話をする。

肩車をして歩いたり、抱っこをしてくすぐりあったり。

ご飯を一緒に食べている時、子ども達は日常の話や、これまでに楽しかったことを話していた。

夫もそれを聞きながら、笑ってご飯を食べていた。

私はそれを聞きながら、静かにご飯を食べていた。

たまにこぼしたり手を汚す子どもに、たまに手を貸すくらいにして、静かにそこに座っていた。

楽しそうにはできなかった。

この光景が、私がずっと望んでいた「家族」の在り方だとしても。

共に笑顔になる事も、笑いあうことも、今の私はできないことだった。

けれど、この子ども達の笑顔は、私には出せない。

パパがいるからこそ、4人でいるからこそ出てくる笑顔。

だから私は、ここに静かに座っていよう。

夫が一緒にいられるのは、この時間しかないのだから。




繋いだ手の痛み

ご飯を食べた後、4人で散歩をしようということで、しばらく歩いた。

子ども達と夫は、楽しそうに手を繋いであるいていた。

その後ろを、私は荷物を持ってついていく。

少し距離を置いて、子ども達の背中を見ながら、私はぼんやりとしながら歩いていた。

その時、息子が駆け寄り、私の手を取った。

握り返すと、息子は私を引っ張り、夫の元へ連れて行った。

そして、息子は夫の手を繋いだのだ。

傍から見たら、4人仲睦まじい家族にしか見えなかった。

私と夫の手を握り、満面の笑みで歩く息子。

息子の望む家族の在り方が痛いほど伝わってきた。

その場限りの「望む家族のぬくもり」を、息子たちはいつまでもいつまでも、感じていたかったようで、しばらくそのまま歩いていた。

私はその手のひらから伝わる息子の思いに、応えることができないまま、手に力を入れることもせず、私はまっすぐ前を向いて歩くしかなかった。

涙の意味は

そんな子ども達と夫にとっての楽しい時間は過ぎ、帰る時間がやってきた。

「またね」と言い、車に乗り込む。

子ども達と夫は「またね」と言い、少しだけ涙ぐんでいた。

少し長めに時間を取り、会話が切れたタイミングを見計らって、エンジンをかけた。

手を振る子ども達と夫の姿に、突然涙が込み上げてきた。

何故だろう。心はもう落ち着いたはずなのに。

何がここまで私の心を乱すのだろう。

これまでの記憶だろうか。

これからの歩みだろうか。

慣れた道を車で走ると、夕焼け空と風が窓から入ってきた。

幸せになりたい。

これからの人生を、優しい世界にするために。

振り返ることなく、今を生きていくんだ。

涙を拭いて、隣で寝てしまった子どもの頭を撫でた。

私は、幸せになるために、行動している。

今の行動も、いつの日か、幸せのための涙だったと、思える日が来るように。

明日も前を向いて、歩いていくんだ。