戻ってきた日常
調停が終わり、再び私に穏やかな日々が戻ってきた。
朝になれば子ども達のご飯を作り、仕事に出かける毎日。
仕事も慣れない事が多く叱られてばかりだったけれど、子ども達の事と私の未来を思うと、心流されずにやり過ごすことができた。
子ども達は相変わらず、ケンカしたり仲良く遊んだり。
両親はそれを眺めながら私のフォローをしてくれる。
いつもと変わらない日常を送っていた。
ただ、子ども達が別居し始めた頃に繰り返していた「パパ」「パパ」という言葉が、少しずつ減ってきているような気がしていた。
それは何故だろう。
考えればわかる事だったが、忙しさのあまり心に余裕をなくしていた私は、考える事を後回しにしてしまっていた。
押し寄せる不安
私自身、進まない離婚調停に、少し疲れていたのもあったかもしれない。
相手はずっと「離婚したい」と言っていたのに。
決心して出てきたら「そんなつもりはなかった」と泣いて詫び、手紙まで送ってくる。
これは何かの間違いだと。
また再び暮らしたいと。
私自身、何のためにこんな思いをしてまで家を出てきたのか、それをしっかりと相手にはわかってほしいと思っていた。
相手からの謝罪の言葉が、私の心に響かなくなっていた事に、ようやく気が付いた。
きっと私は、我慢の限界をとうに超えていたんだと。
子ども達を守りたい、自分が壊れてしまう前に、何とかしたい
その思いだけが、すでに壊れていたであろう私の心を支えていたんだ。
別居して、離婚に向かって進むはずだった私が、今立ち止まっているのは何故だろう・・・?
いいようもない不安が、平凡な私の毎日に影を落としていた。
近づいてくる面会交流
そんな不安と戦いながらも、容赦なく明日は来る。
そして時間は平等に、私や子ども達の日常を押し進めていった。
そして、不安がぬぐえないまま、次の面会交流の日が近づいてきた。
度々来る夫からの打ち合わせのメール。
淡々とそのメールを返しながらも、私は次の面会に、夫の要望に答える事にした。
それをすることが、私のためではなく、子どものためにいいと思ったからだ。
それをしてもらう事で、私が受けるダメージは少ない。
少なくとも、子ども達は喜んでくれるだろう。
子ども達が繰り返し「パパ」と呼ばなくなったのは、きっときっと、私がちゃんと会える場を提供してくれるという安心感を得たから。
そして、二人にはきっと何かがあったんだという事を子どもながらに察したんだと感じた。
私は私の幸せを手に入れるために生きていく。
それはきっと、これからの私の人生の課題になるだろう。
でも、母親として、子ども達の幸せの土台を、しっかりと築いていきたい。
面会交流が近づくにつれ、私はそんなことを考えるようになっていた。
そして、いよいよ面会交流の日が来る。